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私の30歳~「いつでも、どこでも、だれでも出来る煎茶道」を広める テーブル煎茶レッスン講師・島村満穂

2015.06.01

日本人にとってなじみ深い"煎茶"。現在、広島と東京を行ったり来たりしながら、テーブル煎茶レッスンや茶器のプロデュースなど、伝統を大切にしながら煎茶道の新たな道を広げている島村満穂さん。

「一般財団法人煎茶道三癸亭賣茶流」の広報であり、「MY SENCHA SALON」というテーブル煎茶教室を通して、現代的な煎茶道の点前の普及に努める島村さんは、煎茶を意識して嗜むようになってから、一緒に過ごす人、時間の使い方、興味のある場所など、考えや行動にガラッと変化があったと話します。

煎茶道の歴史から、島村さんの"30歳の今"の想いまでたっぷりうかがいました。

煎茶と抹茶は、歴史や目的が違っていた

― 最近では、海外でも日本文化がブームになっています。その中でも、日本茶は外国人にとっても、日本人にとってもなじみ深いものです。しかし、"茶道"という表現をすると一般的に抹茶を思い浮かべる方が多いと思います。
まずは、煎茶道のルーツやお点前の特徴などを教えていただけますか?

茶道といわれるものには大きく分けて抹茶道、煎茶道があります。武家の間で広まった抹茶のお点前は基本的に、私たちが生活する家とは一線をおいた「茶室」で行います。
一方、煎茶は書家や詩人などの文人が応接間へ人を呼び、皆で集まって風雅の交換、交流を楽しむ際に(今の時代でいう異業種交流のような空間ですね)交流を深めるものとして広まっていきました。


― なるほど!同じ茶道でも煎茶と抹茶を比べると、その歴史や目的に大きな違いがみられるのですね。交流のために煎茶を楽しむという考えにとても共感します。
では、和室と洋室で行う煎茶のお点前には、どのような違いがあるのでしょうか?

以前の日本の住宅形式は、畳の部屋で、床の間がありましたが、時代は変わり、私たちはテーブルとイスで生活するようになりました。現在の家元(一般財団法人煎茶道三癸亭賣茶流 3代目家元・島村仙友)が約25年前にテーブルとイスで行う点前を生み出してからというもの、今は和室と洋室の2パターンの点前を場所に分けて行っています。洋室の点前は、海外でお点前を行う際にも非常に喜ばれます。

現代風にアレンジした「テーブル煎茶」とは

― では、島村さんが、伝統的な洋風のお点前から一歩進み、さらに現代風にアレンジした「テーブル煎茶」を考案された背景には、どのような思いがあったのでしょうか?

私の所属する流派には、「いつでも、どこでも、誰でもできる煎茶道」というモットーがあります。今は、広島の自宅と財団の本部は別の場所にありますが、私が生まれたときは自宅にお茶室があり祖母がお茶の先生をしていたので、茶道が身近にあったことは確かです。
ただ、家元である父は「好きなことをしなさい」という教育方針だったので、煎茶は身近にあったものとはいえしばらく敷居の高さを感じていました。


― 30歳の現在では煎茶は生活の一部となっていると思いますが、島村さんのクラスでは実際にどのようなレッスンを行っているのでしょうか?

もし、家のどこかに自分好みの可愛い茶具が揃えてあって、お客様がいらっしゃるときすぐに一煎お出しできるといったことができれば素敵だなと思っていました。
そこで、より気軽に行っていただけるように、私のクラスではテーブルのみのカジュアルな点前レッスンを行っています。茶道は敷居が高いというイメージはなくなると思いますよ。大切な人と美味しい煎茶と会話を楽しむ時間が、みなさまの生活の一部になってほしいと願っています。

30歳となった今振り返る、過去と今の想いの変化

― 伝統を受け継ぎながら、時代の中で愛されるように発展させていくこと......とても素敵な取り組みですね。島村さんは、ゆくゆくは家業に...という思いは早くからあったのでしょうか?

30歳の今、煎茶道をアレンジして広めていく活動をしていることが、本当に不思議だなと思います(笑)。
実は、もともと父が煎茶道の家元ということは、学生時代~社会人になってからもあえて隠しているようなところがありました。それは、煎茶道や日本文化の継承者という雰囲気から、由緒正しい、近寄りがたいなどといったイメージをもたれがちで、私自身は自由な性格であったのに、「それが分かってしまったら、色々と所作をチェックされるのでは?」などと恐れていたのですね(笑)。

そこで、大学卒業後も家業に入ることは全く考えず、化粧品が大好きだったことから新卒では化粧品会社で営業職、その後は銀行で事務職と、茶道と関わりのない職種に就いていました。


― 色々と思うところがあったのですね。では、島村さんが、現在の煎茶道の広報の活動をすることとなったきっかけをお聞かせください。

現在の仕事に就いたきっかけは、28歳のとき、財団本部から広島に戻って手伝ってほしいと声がかかったことですね。そのときは、社会人として企業である程度達成感もあった頃でしたし、また逆に新しいことがしたいという思いも広がっていた頃でしたので、煎茶道の世界に関わることがポジティブなものに思えました。
それまで全く異なる2つの仕事を経験できたことで考え方の幅が広がりましたし、自分にとって最適なタイミングで今の仕事ができていると感じます。


― 今の島村さんの活動を拝見すると、アクティブに動き回っていて順風満帆に活躍されているように感じます。では、煎茶道の広報だけでなく、東京でテーブル煎茶レッスンを広めたいと思ったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか?

広島で父の秘書や事務をしているだけでは発展性がないとは思っていましたが、最初はどのように広めていけば良いか......本当に手さぐりでした。
そんなとき、ちょうど友人のつながりから、東京国際フォーラムで子ども向けの煎茶レッスンを行う機会に恵まれました。夏休みの体験イベントのひとつとしてブースを出展させていただいたのですが、3日間で延べ450名ほどのお子さんが煎茶のお点前を楽しんでくださって、やりがいを感じました。
そこで、お子さんだけでなく20~40代くらいの煎茶にあまりなじみのない方向けの教室も開催していきたいと強く感じたのがはじまりです。

煎茶+和菓子作りなどのコラボレッスンを通して煎茶の楽しみを広めたい

― 今では、フランスの企業とのコラボレーションイベントや、出版社のパーティでのケータリング事業など様々な活動をなさっています。今後はどのように活動の幅やコラボレーションの幅を広げているのでしょうか?

「テーブル煎茶レッスンをやりたい」といっても東京にコネクションはなかったので、初めはとにかく「フットワークを軽く」を合言葉に、色々な場所へ出かけるようになりました。興味を持ったイベントには積極的に参加して開催のノウハウを学んだり、コラボレーションしたいと思った企業の方、個人の方にも、メールやFacebook、InstagramなどのSNSでアプローチをしてイベントを共催するなど、以前の私からは考えられないほど行動的になりました。


― イベントやSNSでの積極的なアプローチが仕事につながるというのは素敵ですね。現在、主に東京ではどのようなお茶会やレッスンを行っていますか?

初めての方向けには、六本木ヒルズのアカデミーヒルズのレッスンと、目黒のスタジオのレッスンがあります。どちらも自分で企画を持ち込み、レッスンを持てる運びとなりました。許状付の本格テーブルレッスンは、目黒スタジオでのみ行っています。そして和菓子を作ったり、オリジナル茶器を制作して点前を行うなど、煎茶道と他の何かをプラスして楽しめるレッスンなども、定期的に行っています。


― 今後、テーブル煎茶の活動をどのように広めていきたいですか?活動の展開、夢などを含め、お聞かせください。

煎茶道は総合藝術といわれていますが、茶器、お花、テーブル装飾、和菓子など、私自身の趣味の範囲がどんどん広がっていきます。このお仕事をするようになって出会いの幅も広がり、関心事もかなり増えました。
ただ、自分が煎茶イベントをする際は、華やかで大きいイベントをやればよいとは全く思っていないんです。
あくまで目的は、煎茶をみなさんの生活に親しみを持ちながら取り入れて、素敵な時間を過ごしていただくこと。そこで、いらっしゃる方々の興味のあるものと煎茶を上手く調和させて、煎茶道について地道にお伝えできる機会を増やしたいと思っています。


最後に、「今年の秋に海外で行われる日本文化のイベントで、煎茶道を紹介する機会が持てたんです」と、嬉しそうに語っていた島村さん。30歳のという節目の時期に、海外の方へ披露できるチャンスができとてもわくわくしているようですが、「気負わずに、地道に煎茶の魅力をお伝えしていきたいですね」と地に足のついた、熱い想いを語っていたのが印象的でした。

島村満穂(しまむら・みちほ)
一般財団法人煎茶道三癸亭賣茶流3代目家元である島村仙友の娘として、幼い頃から煎茶道に親しむ。東京女子大学卒業後、化粧品会社勤務などを経て、三癸亭賣茶流の広報として東京と広島を拠点に活動。2015年春からは「MY SENCHA SALON」専任講師として、テーブル上で行う点前を中心に都内で教室を展開している。流派が大切にする「いつでも、どこでも、だれでも出来る煎茶道」をもとに現代風にアレンジされた日常で実践しやすい点前の普及に努める。パリ企業との日仏コラボ煎茶会などのワークショップや商品開発などの事業を行う傍ら、和の情報を発信するコラム記事を執筆中。

Text:Yuki Ishihara